内転筋痛を理解する
鼠径部の痛みは、診断の手がかりが入り組みやすい領域です。内転筋の肉離れは、競技を行う方にも一般の方にも見られる代表的な傷害の一つです。内転筋群(長内転筋・短内転筋・大内転筋・恥骨筋・薄筋)は、動的な動作のなかで骨盤を安定させ、大腿を内転させる役割を担っています。疫学データを見ると、急性の鼠径部痛では長内転筋の関与が多く、急な方向転換や強いキック動作の場面で生じやすいと報告されています。実際の損傷である筋腱の部分断裂か、慢性化した腱症か、それとも筋膜性疼痛による関連痛なのかを見分けることは、治療方針と回復の見通しが大きく変わるため、重要な作業となります。
筋筋膜性疼痛症候群(MPS)は、内転筋の病変としばしば併存します。一次的な痛みの発生源として現れる場合もあれば、急性損傷後に動きが変化することで二次的に出現する場合もあります。内転筋筋腹や近接する腸腰筋のトリガーポイントは、鼠径部の皺へ直接関連痛を放散しやすく、急性損傷や腱症の症状と非常に似た訴えを生じる場合があります。さらに慢性の鼠径部痛では、未解決のトリガーポイントや腱症組織からの持続的な痛覚入力により、中枢神経系の感作と呼ばれる現象が関与する可能性も指摘されています。腱だけを治療しても効果が限定的な場合があるのは、こうした筋膜性の要素が併存している可能性を考慮していないことが一因と考えられます。
内転筋の急性肉離れと筋膜性の関連痛を見分けるには、丁寧な触診が手がかりとなります。最も強く痛む部位の所見が、主な痛みの発生源を考えるうえで参考になります。
重なり合う病態を見分けるには、丁寧な臨床評価が欠かせません。なかでも触診は中心的な役割を果たします。恥骨付着部や筋腱移行部に限局した圧痛は肉離れや腱症を、筋腹の索状硬結(タイトバンド)上の鋭い圧痛は筋膜性疼痛を示唆する手がかりとなります。臨床では、内転筋スクイーズテストなどの誘発検査と、股関節の可動域評価を組み合わせて、関与する組織を絞り込んでいくのが一般的です。臨床判断に迷いがある場合や保存療法で十分な改善が得られない場合には、構造的損傷・恥骨結合炎・股関節内病変を除外する目的で、超音波検査やMRIなどの画像検査が検討されます。
解剖学的に押さえておきたいこと
大腿内側の区画には内転筋群が収まっており、恥骨と坐骨から起こり、大腿骨の内側に沿って付着します。これらの筋肉の深さや走行を押さえておくことが、正確な触診と評価の土台となります。
長内転筋
長内転筋は、内転筋群のなかで急な方向転換を伴う動作で損傷を受けやすい筋肉として知られています。筋膜性疼痛の文脈では、急性損傷や慢性的な過負荷をきっかけに筋腹内へトリガーポイントが形成されることがあります。臨床的には、急性期には筋腱移行部に限局した圧痛が見られる一方、筋膜性疼痛では筋腹中央に索状硬結(タイトバンド)が触れるパターンが多く、それぞれの所見を区別して捉える必要があります。
鼠径部の深部に向かって放散しやすく、下方には大腿前内側に広がり、内側膝まで及ぶ場合もあります。大内転筋
大内転筋は内転筋群のなかで最も大きく、強力な筋肉です。内転筋部とハムストリング部の二つの機能区分をもち、骨盤の安定化に関与します。長内転筋と比べると肉離れの頻度は高くないものの、損傷した場合は機能低下が長引くことがあります。大内転筋のトリガーポイントは見過ごされやすく、骨盤深部や股関節の病変に似た訴えとして現れる場合があります。
鼠径部の深部、大腿前内側へ放散することが多く、骨盤内部にまで響くと感じられる場合もあります。骨盤底機能障害と区別しにくい所見として現れることもあります。短内転筋
短内転筋は長内転筋の深層に位置し、単独で筋損傷を起こすことはまれですが、大きな内転筋損傷では併発しやすい部位です。解剖学的に深く触れにくいため、長内転筋の所見と触診で区別するのは容易ではありません。短内転筋の筋膜性トリガーポイントは、慢性的な鼠径部の鈍い痛みを長引かせる一因となる場合があります。
主に大腿内側の近位部から鼠径部の皺の周辺に限局しやすい傾向があります。薄筋
薄筋は大腿内側で最も浅層を走り、内転筋群のなかで唯一、股関節と膝関節の両方をまたぐ筋肉です。急性の筋腱損傷は比較的少ないものの、長内転筋の一次病変や内側コンパートメント型の変形性膝関節症に対して二次的にサテライトトリガーポイントが現れやすい筋肉です。表層にあるため、徒手的な評価がしやすい部位でもあります。
大腿内側に沿って広がり、表層を「ピリピリする」「ジワジワうずく」ような感覚として表現される場合があります。腸腰筋
腸腰筋は本来は股関節屈筋ですが、鼠径部痛の鑑別では欠かせない筋肉です。腸腰筋の腱症や腸腰筋滑液包炎は、近位の内転筋損傷とほぼ重なる症状を呈する場合があります。さらに、腸腰筋のトリガーポイントは鼠径部への代表的な関連痛源であり、内転筋損傷後の歩行パターンの変化によって活性化することも知られています。
大腿前面と鼠径部の皺に強い関連痛が出やすく、同側の腰椎部に縦方向の痛みの帯を伴う場合もあります。恥骨筋
恥骨筋は大腿近位内側にある短く扁平な筋肉で、股関節の屈曲と内転の両方に関与します。臨床的に単独損傷を見極めることが難しく、「鼠径部の筋損傷」として一括りに扱われがちです。恥骨筋のトリガーポイントは深い鼠径部痛をもたらす強い痛みの発生源として知られているものの、見落とされる頻度の高い筋肉でもあります。
鼠径部の皺の深部に強く感じられ、患者さんはしばしば「股関節そのものの中で痛む」ような感覚として表現されます。
急性の筋損傷
主に筋腱移行部で筋線維の肉眼的・微小な断裂が生じ、突然の痛み・限局した腫れ・筋力低下として現れることがあります。
筋膜性関連痛
筋肉内の索状硬結(タイトバンド)上にある過敏な硬結(トリガーポイント)からの関連痛で、明らかな外傷を伴わない深く漠然とした鈍痛として現れる場合があります。
腱症
慢性的な過負荷による腱の変性変化で、活動初期にウォームアップで和らぐものの、活動後に悪化する骨付着部の痛みを特徴とします。
関節内病変
大腿骨寛骨臼インピンジメント(FAI)や寛骨臼唇損傷など、股関節そのものに起因する病態で、機械的症状や内旋制限を伴うことが多く見られます。
関連痛パターン
骨盤と大腿の筋膜性トリガーポイントは、鼠径部に痛みを投射する場合があります。それぞれの関連痛パターンを把握しておくことが、関節や腱の本来の病変との鑑別に役立ちます。
- 長内転筋・短内転筋
- これらの筋肉のトリガーポイントは、上方には鼠径部の皺へ、下方には大腿内側に沿って広がる関連痛をもたらすことが多く見られます。患者さんは「奥の方で深くうずく」感覚を訴えることが多く、荷重時や急な側方への動きで増悪しやすい傾向があります。
- 大内転筋
- 大内転筋からの関連痛は、骨盤や大腿内側の深部に広がる漠然とした重い痛みとして現れる場合があります。坐骨結節に沿った起始が広いため、臀部の溝の方向にも痛みが広がることがあり、ハムストリングの病変との鑑別がむずかしくなることもあります。
- 腸腰筋・恥骨筋
- これらの筋肉は、鼠径部前面から大腿上部に直接的に関連痛を生じる代表的な筋肉です。腸腰筋からの関連痛では、同側の腰椎部に縦方向の痛みの帯を伴うことがあり、原発性の内転筋損傷と区別する手がかりとなる場合があります。
- 恥骨結合・鼠径部痛症候群
- スポーツ選手では、内転筋腱付着部だけでなく、恥骨結合周囲、腹直筋付着部、鼠径管後壁の問題が重なり、いわゆる鼠径部痛症候群として現れることがあります。腹圧、方向転換、キック動作で悪化する場合は、単純な内転筋肉離れだけで説明しないことが重要です。
臨床評価
鼠径部痛の臨床評価では、筋力検査・柔軟性評価・丁寧な触診を組み合わせます。これらの評価は、症状に関与している組織を絞り込む手がかりとなります。
内転筋スクイーズテスト
仰向けに寝て両膝を立て、両足の裏を床につけます。両膝の間にしっかりとしたボールや握りこぶしを置き、内側にゆっくりと締めるように力を加えていきます。誘発される痛みの場所と性状を観察してください。無理をせず、強い痛みが出る前にとめることが大切です。
陽性所見: いつもの鼠径部の痛みが再現される場合は、内転筋腱症、急性の肉離れ、活動性の筋膜性トリガーポイントなど、痛みの位置によって異なる原因が示唆されます。
筋腱移行部の触診
座位または仰向けで、恥骨から下方に向かって、長内転筋の目立つ腱に沿って大腿内側をやさしく触診していきます。腱の付着部の感受性と、その下にある柔らかい筋腹の感受性を比べてみてください。
陽性所見: 骨への付着部に鋭く限局した痛みがある場合は腱症や肉離れが示唆され、筋腹中央を押した際にズーンと響く深い痛みが出る場合は筋膜性トリガーポイントの関与が考えられます。触診所見は術者によって差が出ることがあるため、参考所見として捉えてください。
FABER(パトリック)テスト
仰向けに寝て、患側の足首を反対側のまっすぐ伸ばした脚の膝のすぐ上に置き、「4の字」のかたちをつくります。曲げた膝をベッドに向かってゆっくり外側へ落としていきます。無理に押し下げないようにしてください。
陽性所見: 鼠径部前面の痛みは、変形性股関節症や寛骨臼唇損傷などの股関節病変、あるいは腸腰筋のスパスムが関与する可能性を示唆します。大腿内側のつっぱり感や痛みは、内転筋の柔軟性低下と関連が指摘されています。
トーマステスト姿位
しっかりとしたベッドや台のすぐ端に座ります。片膝を胸にしっかり引き寄せたまま、ゆっくりと仰向けになり、もう一方の脚は端から自然に垂らします。垂れ下がった脚の安静位を観察してください。
陽性所見: 垂らした方の大腿が台から浮いたままの場合、腸腰筋や大腿直筋の柔軟性低下が示唆されます。これらの所見は内転筋痛と併存しやすく、症状を複雑にする要因となる場合があります。
治療の道筋
内転筋関連の鼠径部痛のケアでは、複数の介入を組み合わせる視点が役立ちます。現時点の研究では、急性期の症状管理から徒手療法、そして段階的な負荷漸増へと進める流れが広く支持されています。
セルフケア
- 痛みを誘発する活動の制限と相対的安静
- 急性炎症期(最初の48〜72時間)におけるアイシング
- 痛みの出ない範囲での自動関節可動域運動
- 回復早期における強いストレッチや終末域までのストレッチを避けること
- 症状の経過に合わせて、日常動作を段階的に再開していくこと
徒手療法
- 内転筋筋腹に同定されたトリガーポイントへの穏やかな持続圧
- 筋膜の制限に対する軟部組織モビライゼーション
- 腸腰筋・恥骨筋を対象とした筋膜リリース
- 関節包の可動性確保を目的とした股関節モビライゼーション
- 慢性の腱症に対する筋腱移行部のフリクションマッサージ
医療介入
- 内転筋群の活動性トリガーポイントに対するドライニードリング
- 難治性の滑液包炎や強い腱症に対する超音波ガイド下のステロイド注射(適応は慎重に判断)
- 慢性腱症への補助として用いられることがある多血小板血漿(PRP)注射(効果は症例により異なります)
- 関節由来か関節外由来かを区別するための診断目的の局所麻酔ブロック
リハビリテーション
- 内転筋に対する段階的な等尺性負荷
- コペンハーゲン・アダクションを軸とした漸進的プログラム
- 体幹・骨盤の安定化エクササイズ
- 筋腱の耐性を高めるためのエキセントリックトレーニング
- スポーツ動作に応じた段階的な復帰プログラム
レッドフラッグと鑑別診断
鼠径部痛の多くは筋骨格系を起源としますが、この領域は泌尿生殖器系や消化器系と神経経路を共有しています。以下の所見が見られる場合は、重い病態を除外するためにも早めの受診をご検討ください。緊急性が高いと感じる場合は119(救急車・消防)への連絡も選択肢の一つです。
剥離骨折が疑われる所見
成長期のアスリートで、突然の強い鼠径部痛と「ポキッ」という音、荷重困難を伴う場合は、坐骨結節や恥骨の剥離骨折の可能性があります。早めの画像検査が必要となる場合があります。
Urgent腱の完全断裂
急性の外傷後に大腿内側で陥凹(くぼみ)を触れる、あるいは強い皮下出血が広がる場合は、高度な部分断裂や完全断裂が示唆されます。整形外科での速やかな評価が望まれます。
Urgent股関節内病変の可能性
股関節の内部で「コリッ」「カクッ」「引っかかる」「ロックする」などの機械的症状があり、深い鼠径部痛を伴う場合は、寛骨臼唇損傷や進行した変形性股関節症の関与が考えられます。
Investigate鼠径ヘルニア
鼠径部に目に見える、または触れる膨隆があり、咳や腹圧(バルサルバ手技)で大きくなる場合は、鼠径ヘルニアが疑われ、外科的評価が必要となります。
Investigate泌尿生殖器症状の合併
鼠径部痛に排尿の変化、精巣の痛み、発熱を伴う場合は、精巣上体炎や尿路結石など泌尿生殖器系の病変の可能性があります。早めに医療機関を受診してください。緊急性が高いと感じる場合は救急外来(119)への連絡もご検討ください。
Emergency急性の精巣痛・陰嚢痛
突然の強い精巣痛、陰嚢の腫れ、吐き気を伴う場合は、精巣捻転など緊急性の高い病態を除外する必要があります。鼠径部の筋肉痛として様子を見ず、救急受診を検討してください。
Emergency
臨床上のポイント
長内転筋の筋腱損傷は急性の鼠径部痛の一因として比較的多く見られますが、筋膜性トリガーポイントが症状を模倣したり、併存して経過を複雑にすることがあります。
丁寧な触診が鑑別の鍵となります。骨付着部に限局した圧痛は腱症や筋損傷の手がかりとなり、筋腹中央の圧痛は筋膜の関与を示唆します。
腸腰筋と恥骨筋は鼠径部への代表的な関連痛源です。内転筋症状をお持ちの患者さんでは、これらの筋肉も含めて評価することをお勧めします。
スポーツ医学・リハビリテーション領域では、内転筋関連の鼠径部痛に対して、痛みの許容範囲内で段階的に負荷を高める運動療法が重視されています。コペンハーゲン・アダクションはその一例ですが、急性期から一律に行うものではありません。
スポーツヘルニア(鼠径部痛症候群 / athletic pubalgia)、股関節病変、鼠径ヘルニアなど、症状が重なる病態の可能性も常に念頭に置くことが望まれます。
内転筋の急性損傷期に強くストレッチをかけると、組織の修復を妨げ、反射性の筋スパスムを誘発する場合があります。慢性期に入ってから段階的に進めることが望ましいでしょう。




